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木のおもちゃ.jp HOME > 木のおもちゃ.jpについて > 木のおもちゃ.jpが考えること

木のおもちゃ魂


こころに栄養、楽しいおもちゃ

何十年もカタチが変わらず、愛され続けているおもちゃがあります。
何世代にも亘って世界中で親しまれているおもちゃがあります。

どれもこれも
自動で動くわけでも
キャラクターがついている
わけでもないけれど、

シンプルで美しく、
それでいて子どもに媚びていない…
楽しさと美しさが共存するおもちゃなのです。



木のおもちゃ.jpへようこそ!店主の齋藤です。


木のおもちゃ.jpでは、遊びやおもちゃは、子どもたちの生活そのものであると考えています!

美しくシンプルなおもちゃで手を使い、キモチを表現することはテレビやテレビゲームよりも楽しい遊びであること。

ふざけるより真剣にするほうが楽しいし、みんなで一緒に遊ぶのはもっと楽しいコミュニケーションを育んでくれること。

押し付けることなく、子ども達が自然に感じてくれる、そんな子どもに媚びない、子どもたちと真剣に向き合ったおもちゃを木のおもちゃ.jpでは選んで扱っています。



ミヒャエル・エンデの「モモ」の中に当店の考えと同調する一説があります…


ミヒャエル・エンデの「モモ」の中に当店の考えと同調する一説があります…

「子どもたちが、そんなものを使って本当の遊びはできないような、色々なおもちゃを持ってくることが多くなったのです。
例えば、遠隔操作で走らせることのできる戦車…でも、それ以上のことにはまるで役にたちません。
<中略>
…とりわけこまることは、こういうものは細かななところまでいたれりつくせりに完成されているため、子どもが自分で空想を働かせる余地がまったくないことです。
ですから子どもたちは何時間もじっと座ったり、ガタガタ、ギーギー、ブンブンとせわしなく動きまわるおもちゃのとりこになって、それでいて本当は退屈して、眺めてばかりいます…。 けれど頭のほうは空っぽで、ちっとも働いていないのです。
ですからけっきょく子どもたちは、昔からの遊びにまた舞い戻ることになります」
(ミヒャエル・エンデ「モモ」より一部抜粋)


このお話が書かれた(1974年)当時から…いや、それ以前から、子どもたちの本質は変わっていないと思います。


木のおもちゃ.jpを運営する、ウッドワーロックの仕事の一つに移動販売やイベントがあり、多くの幼稚園や保育園、児童館などを定期的に回っていますが、普段はTVゲームばかりしている子であっても、ボードゲームや積み木の楽しさや身体を動かすことの楽しさが伝わると、そういった遊びを自ら楽しむようになります。

じゃあ、何が変わったのって、与えられるおもちゃと取り巻く環境、人とのかかわりではないかと木のおもちゃ.jpでは考えています。


よいおもちゃってなに?



よいおもちゃってなに?
木でできているおもちゃ?
高いおもちがいいの?

いつもよくされる質問です。

木だから、高いからといって、必ずしも良いおもちゃとは限りません。
いろいろな考え方があると思いますが、その子にとって必要なもので自ら楽しめるものじゃないかと考えています。
特に、子どもも大人も楽しめるおもちゃはとても良いおもちゃです。

ただ、どんなに素晴らしいおもちゃを与えても、与えるだけでは子どもは遊びませんから、そこに環境と大人や友だちの関わりが、そのおもちゃの良さや魅力を引き出してくれるのではないかと思います。


与える時期と素材


もちろん「木のおもちゃ」だったら良いというわけではなく、与えるおもちゃはプラスティックや布、金属といった、それぞれの特性を生かしたおもちゃであって欲しいのです。

重量感や質感(肌触り)は木が優れているので、乳幼児にはぜひ与えて欲しいですし、つなげたり摘んだりする紐や布、造形遊びやや手入れのしやすさではプラスティックや粘土が優れているといえます。

基本的に、与えるその時期にあったものをうまく選んでいただければ良いと思います。


選び方と関わり


もちろん選ぶのは私たち大人の役目ですから、本当に子どもたちに良いものをしっかりと選ばなければなりませんが、どんなに素晴らしいおもちゃを与えても、大人がかかわる部分が無ければ台無しになってしまいます。


子どもと一緒に遊ぶことは「教えること」ではなく、「きっかけ」を与えてあげることですから、積極的に子ども達と楽しく遊んでほしいと思います。

そういった意味でも「ひとつの遊び方しかできないおもちゃ」ではなく、自分の手を介して色々な用途や可能性を発見できるおもちゃを与えてあげてください。

電動のおもちゃに遊ばれるのではなく、自ら遊びに参加できるものであって欲しいと思います。

親心として「頭が良くなる」とか「教育に役立つ」といわれれば、ついつい納得してしまいそうになりますが、遊びやおもちゃは勉強するためのものではなく(その時点で教材ですね)、生活そのもの…生まれてまもない時期の子どもはすべてのことを助けてあげないと何もできませんが、数年で歩き、話し、考え、行動する…まるっきり大人と変わらない生活ができるようになります。

ジャネーの法則(*)を持ち出すまでもなく、子どもたちは目まぐるしく多くのことを短時間で吸収しながら日々生活しているのです。

*ジャネーの法則
フランスの心理学者ジャネーが提唱した、心理的時間は年齢に反比例するという説。
単純に考えると、1歳の子どもの1日は、30歳の大人の30日と同等と考えるので、30歳の1年は1歳の子どもにとっての12日程度でしかないということ。


おもちゃに対して大人が真剣に考え、携わってきたかどうか


おもちゃという言葉は、日本では悪い意味(おもちゃみたいなもの、おもちゃにされる、くだらないもの等等)に使われることが多いですが、ヨーロッパでは全く意味が違います。

それはおもちゃに対して大人が真剣に考え携わってきたかどうかの違いではないでしょうか?

子どもが12日遊ぶものは、大人が1年間、仕事をするための道具と置き換えたとき、適当なものを選ぶことはできないと思います。

子どもにとって食事や睡眠と同じく最低限必要なものですから
「右脳が開発される○○式」とか「○才になったら○○できる!」などの文言に左右されるのではなく、真剣に向き合って選んであげてください。

こうすれば正解、こうやって遊ぶもの…形や遊び方、答えの指定されたものは、もはやおもちゃではなく、それ以外にはなりようもないということです。

子どもは大人が思っている以上に多くのことを考え、日々吸収しています…


子どもは大人が思っている以上に多くのことを考え、日々吸収しています…

「子どもの使うものだから…ではなく、子どもの使うものだからこそ」ですよね!

木のおもちゃ.jpはそのためのお手伝いを惜しみません。